| 改革者全集 − カルヴァン著作集』 全59巻 全20冊 | |
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ページ総数約4万に上る『カルヴァン著作集』(全59巻)が、本図書館に収蔵されている。 本著作集は、1863年、Baum , Cunitz , Reuss の編集によってオランダで出版され、現在では、もっばら古書でしか手に入らない。名だたる研究者幾人かの手を経て、2001年5月、沖縄キリスト教短期大学図書館に収蔵されることになった。 カルヴァン研究の第一次資料として極めて貴重な著作集である。 ![]() |
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「カルヴァン全集」収蔵に当たって
沖縄キリスト教短期大学
学長 神 山 繁 實
去る5月に念願の『宗教改革者全集 − カルヴァン著作集』全59巻20冊、ページ数約4万ページに上る大作が、本図書館に収蔵されることになった。この著作集はめったに出版されることはなく、もっぱら古本でしか手に入らない。本著作集は、1863年、Baum
, Cunitz , Reuss の編集によってオランダで出版され、名だたる研究者の手を経て沖縄キリスト教短期大学図書館に搬入された。それらの内容は、キリスト教綱要、聖書注解、書簡、論争文、諸規程集等にわたる。言語はラテン語が大部分で、その幾つかはフランス語に翻訳されている。ギリシャ語、ヘブライ語も引用に用いられている。装丁は、クロス製である。
著者カルヴァンは、1509年、フランスのビカルディ・ノワイヨンの裕福な家庭に生まれ、14歳のときにパリに遊学し、パリ大学、オルレアン大学、ブールジュ大学に学び、法律で学位を取った。パリ遊学中に人文主義運動に触れ、ラテン語、ギリシャ語、ヘブライ語を学び、古典にも精通するようになった。23歳のとき、彼の最初の著作『セネカの「寛容論」注解』を出版した。
カルヴァンは、最初の頃、人文主義者として綿密な原点研究に関心を持ちつつ、法律家として世に出る道を模索していた。しかし、彼のいうところの「突然の回心」(24歳)によって福音主義(ルター主義と称されていたプロテスタント)の信仰に目が開かれ、彼の信条のゆえに亡命を余儀なくされ、バーゼルに滞在した。その間、パリではプロテスタントに対する過酷な迫害が起こり、プロテスタント運動の行き過ぎに対する警告と福音主義的教理の概略を示す『キリスト教綱要』を執筆し、フランス国王「フランソワT世に贈る書簡」を序言に据えている。この序言は、人文主義者がよく採った修辞学的常套手段ではなく、現実的な意味を帯びていた。この書は、彼が27歳のときにバーゼル滞在中に匿名で出版したが、瞬く間に全ヨーロッパに流布した。彼は将来、法律家として身を立てるべくパーゼルへ赴く途中でジュネーヴを迂回することになった。当時、ジュネーヴ市国のパトロン・ベルン市国からジュネーヴに派遣され、宗教改革事業に着手していたファレルに前期著作者であることを見破られ、宗教改革運動に引きずり込まれた。 カルヴァンの著作は、彼が55歳で他界するまでジュネーヴで改革事業に邁進し、その間に著されたものである。彼は、フランス人としての合理性と人文主義者としての明晰性と福音主義者としての霊性(精神性)を兼ね備えていた人物である。全集の中核をなす「キリスト教綱要」は、彼の生存中に数回加筆され、現在の構成になった。
彼の働きの主たる目的と関心は、教会改革であったが、教会を取り巻く社会全体の改革、すなわち、社会・経済・政治・教育の全分野にまたがり、当時、きわめて貧しかったジュネーヴ市を今日の名声を得た世界的都市にまで発展せしめる基礎を築いた。彼の大学改革により、全ヨーロッパから学生が集まり、学んだ知識を母国に持ち帰って活かした。また、彼は、一時期、ジュネーヴ市国の政治顧問をしていたが、彼の政治理論はジュネーヴ市の政治形態に反映され、議会制民主主義の一形態のモデルになった。カルヴァンは、「キリスト教綱要」と「ジュネーヴ市」を残したと言われ、カルヴィニズムなる呼称が生み出されてきた所似でもある。また、「ナチズムとソビエト共産主義」に関する20世紀最大の神学論争の焦点は、カルヴァンの自然法及び自然神学についての解釈をめぐるものであった。
欧米におけるカルヴァン研究は、社会経済史、政治、教育にわたって幅が広い。残念ながら、日本では西欧史学会で取り扱われる程度であるが、近年、若い世代の中から政治学や法学.の分野でわずかながら研究者が出てきている。これまでのカルヴァン研究は、第二資料や通説に基づく研究が主流で、誤解に基づく新たな誤認・誤解が再生産されるという状況であったが、この機会に、是非とも、この著作集が第一次資料として役立つことを念願している。日本でこれだけのコレクションを完備しているところは、そう多くはないことを付け加えておきたい。
(2001年7月)
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