沖縄キリスト教平和総合研究所 概要

沖縄キリスト教平和総合研究所は、建学の精神を継承し、キリスト教に関する諸研究、及びキリスト教における平和学を研究し、地域社会と教会、また学内に活かしていくことを主たる目標として、2009年10月30日に開所しました。

活動・研究目標

(1)沖縄キリスト教学院建学の精神を継承し、キリスト教に関する諸研究およびキリスト教における平和学を研究し、地域社会と教会、また学内に活かしていくことを主たる目標とする。

(2)事業計画

  • 建学の精神に係ること。
  • 研究活動、及び広報の企画立案に関すること。
  • 講演会、及び講習会等に関すること。
  • 資料の収集、整理、保管、及び展示に関すること。
  • 研究成果等の刊行に関すること。
  • その他研究所が必要と認める事業等に関すること。

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沿革

「キリスト教平和研究所」誕生の経緯と狙い」

沖縄キリスト教平和総合研究所名誉所長 大城 実

 「国際的平和の島」建設を担える若者の教育を旗印にした本学の建学の精神からすると、当研究所が学院創立50年後出発というのはあまりにも遅い気がする。しかし数年がかりの協議を経て、2009年10月30日(宗教改革記念日前日)に開所の運びとなった。その背後には、1980年来活躍してきた「沖縄キリスト教平和センター」からの促しと多額の財政的協力があった。同センターは諸般の事情から活動を停止したが、日本政府の構造的沖縄差別の陰で米軍基地の影響をもろに受けているこの沖縄の地で平和を求め、キリストの平和の福音を人々に如何に伝えるかを課題とした団体であった。

 私たちはその趣旨を受け継ぐと共に、教学の場にあるものとして学問的に「平和学」を模索すると共に、この沖縄の地で「沖縄」に拘り、「キリスト」に拘り、「平和」に拘りつつその展開を求めたいと願っている。本学に職を共有する仲間だけでなく、学生の皆さん、諸教会の皆さん、そして沖縄社会に住む皆さんと共に、生きるとは何か、特に沖縄で生きるとは何か、平和とは何かを学び、その実現に少しでも役に立てる人間に育ちたいと願っている。


「キリスト教平和研究所に期待すること」

沖縄キリスト教学院 前理事長 神山繁實

 沖縄キリスト教学院は1957年に創設された。学院創設の目的は、精神的に、環境的に荒廃した戦後沖縄の復興を担う人材育成のため、現地の教会の長い祈りによって、先ずはキリスト教学科から始められた。一期生の卒業生は14名という小さな学校であったが、教える者、学ぶ者の目的意識が明確であったので、卒業時には全員がキリスト者になって社会に巣立っていった。

しかし、1970年には、応募者皆無の状況を考慮にいれ、廃科することになった。その後、社会的要請や必要性から、児童福祉科(現保育科)、英語科が更に強化され、それぞれ戦後復興を担う人材を育てて社会に送り出していった。本学院から巣立った卒業生は、1万1千人を超えるまでになった。その背後には、教会の人々の祈りと、同窓会、地域社会の大きな支援があって、今日を迎えている。

しかし本学院には、沖縄のキリスト教会から託された一つの課題が残されていた。本学院の設立母体である沖縄の教会のアイデンティティを聖書の教えと沖縄(琉球)の歴史的現実と文化に根ざした「平和を造りだす人材」を育てていく使命が、かつてのキリスト教学科の廃科後、ひとつの課題として残されていた。

本学院に設置された「沖縄キリスト教平和研究所」は、かつての「キリスト教学科」設立の課題を継ぐものであり、学院設立当時の目的を新たな視点から見直し、その働きを推進することが期待されているのである。従って、本研究所の名称である「沖縄」、「キリスト教」、「平和」研究所は、そのいずれの一点も外すことのできない方向性と内実を示すものである。この名称は、設立当初の建学の精神と教育目的を端的に示すものであるが、今日的状況の只中から問われ、更に深めていかなければならない大きなテーマである。

東アジアを中心とするアジア全体の平和を追及していくことは、沖縄が戦争の危機を常に孕んでいる危険地帯であることの認識が必要である。この現実認識なしには、平和の構築も課題遂行も曖昧にならざるを得ない。日米安保・安全保障の問題は観念的にではなく、現実認識をしっかり確立しつつ、他者と共存していく道を模索することが求められている。沖縄は、そのような平和の構築を模索していく有利な位置にあるといえる。

本研究所が沖縄の現実を直視しつつ、直面する課題を担い、その指針を示す働きを外部の研究所等と共に担いつつ協働していけることを強く望む次第である。

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声明文

【ケビン・メア発言に対する見解と声明】

(2011年3月)

 ケビン・メア元在沖総領事の差別発言が沖縄県民の怒りを煽った。米政府はあっさりメア氏を更迭したが、それはメア氏に罪を被せて、普天間の辺野古移設反対運動が加熱することを避けようとするものでしかない。そのことを白日の下に晒した米国の勇気ある学生たちに敬意を表し、感謝したい。

 沖縄に存在する米軍基地は日米両政府による沖縄への不当な差別に根ざした政策だと考える。聖書はすべての人は神の形に創造されたという。人は全て平等に創られているとの主張である。ある特定の民族あるいは地域に民族的、文化的、地政学的な理由の故に誰も好まない政策を押し付けるのは明らかな差別であり理不尽である。危険な普天間基地の辺野古への移設強行は如何なる論理をもっても正当化され得るものではない。聖書の真理に悖るものであり、それは又私たちの先祖が描いた万国津梁の願いを覆すものである。

 日米両政府は沖縄の基地は抑止力だという。逆に近隣諸国への脅威となる。私たちは先祖から譲り受けた大事な土地から発進した爆撃機や軍艦が地球上の如何なる地域においてもその住民を脅かし、破壊、殺戮するのを黙視することを拒絶する。日米両政府の嘘とまやかしにもかかわらず、軍隊は平和をもたらさない。従って今回のまやかしを指摘し、軍事基地の撤去を主張し、隠蔽に強く抗議する。

<沖縄キリスト教平和研究所所員一同>


【オスプレイ県内配備に反対する声明】

(2012年8月2日)

 沖縄県宜野湾市の市街地の中心にある米軍普天間基地は、沖縄戦67年を経過した今も、早朝から深夜まで米軍航空機の離発着訓練を行い、周辺の住民に騒音被害や航空機事故による恐怖を与え続けています。特に、2004年8月13日の沖縄国際大学へのCH53D大型輸送ヘリ墜落事故は地域住民を危険に落としいれ、沖縄県民全体に大きな衝撃を与えました。

 日米両政府は、普天間基地が「世界一危険な基地」であることを認識しています。1996年には全面返還に合意しましたが未だ実現していません。それどころか米国国防省は、2011年6月に、普天間基地に配備してあるCH46ヘリコプターを2012年10月から垂直離発着輸送機MVオスプレイに変換すると発表しました。

 オスプレイは、開発段階から墜落事故が頻発し実戦配備した後も何度も事故を起しています。今年に入ってからでも、4月にはモロッコで訓練中に墜落事故が発生し、米兵2名死亡、6月にもフロリダ州で訓練中に墜落事故が発生し米兵5人が負傷しました。このような危険極まりないオスプレイを、私たちは、沖縄のいかなる場所にも配備することに反対します。また、地域住民の了解なしに、この危険な軍事兵器を配備しようとする日米両政府に強く抗議します。

 私たちは、軍事力によらない平和な社会を願います。普天間基地を即時閉鎖・返還し、オスプレイの県内配備を中止することを強く要望します。

<沖縄キリスト教平和研究所所長 大城実>

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