学長メッセージ

歴史と現実を見据え明日に向かう
金 永秀

沖縄キリスト教学院大学
沖縄キリスト教短期大学
学長
 金 永秀

  沖縄キリスト教学院(大学・短期大学)は、「沖縄キリスト教団」首里教会の教会堂を校舎として1957年4月に開学しました。沖縄の大学では2番目の歴史をもっております。 同教会の牧師で学校代表の仲里朝章は、開学の辞において「かつて太平洋上の孤児と呼ばれた沖縄」を「複雑にして矛盾の多い」現実の状況において「国際的平和の島にする」には、「キリスト教の精神を身につけた人材の養成」が必要であると述べました。ここには、1)歴史への反省、2)沖縄の現実への視点、3)教育の使命、4)思想的基盤としてのキリスト教精神という4つの視点が含まれています。 仲里は戦時中、那覇商工学校の校長として、軍国主義教育を担う立場にいました。その結果、99名の生徒達を鉄血勤皇隊として戦場に送り出し、72名が命を落としました。彼は、沖縄が壊滅的な状況に追いやられた戦争の歴史の中で、教育者として育てるべき命を守ることができなかったことを深く悔いたのです。 その沖縄戦から22年、本学院開学の時代は、世界が共産主義陣営と資本主義陣営の二つに分かれて対立していた時代でもあります。この対立は、1950年から3年間で500万人以上の犠牲をもたらした朝鮮戦争を引き起こした後、より泥沼化するベトナム戦争開始の兆しを見せていました。このような対共産圏戦争を支える為、米軍統治下の沖縄では住民の土地が強制的に奪われ、人権が侵害される中で基地の整備拡張がなされました。この「複雑にして矛盾の多い」、呻吟する「沖縄を国際的平和の島にする」という教育の使命が語られたのです。又、そうした経験と思想的基盤としての「キリスト教精神」の重要性が明らかにされました。 1963年、短期大学として認められた本学院に、「児童福祉科」(現在の保育科)と「英語科」が設置されました。これらは、児童福祉と保育により地域の発展に関わっていく「地域性」と同時に、国際言語としての英語に習熟する人材を輩出するという意味で「国際性」への対応を表現しています。加えて2004年には、より広範で深い知識に根差した他者理解の深化を目指し、「英語コミュニケーション学科」が設置されました。 今、新しい時代の教育を目指す沖縄キリスト教学院は、これまでの歴史的経験を覚えつつ、今日の社会の必要性に応じた教育の使命を見据えております。改革を実践・実現していく中にあっても、平和を目指す思想に固く立つことによって、沖縄に根差し、世界との関係を深め続けていくことのできる人の養成を教育の根幹に据えてまいります。

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