2015年度卒業式 学長メッセージ

沖縄キリスト教学院大学・沖縄キリスト教短期大学 卒業式
(2016/3/15, 10時)

学長メッセージ

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沖縄キリスト教学院大学 沖縄キリスト教短期大学
学長 中原 俊明

1, 沖縄キリスト教学院の短大及び4年制大学、そして大学院を含め、本日晴れてご卒業の皆さんに心からお喜びを申し上げます。おめでとうございます。また、ご多忙な中、西原町の上間町長始め、来賓、そして卒業生の御父母、御家族のみなさまがご臨席下さり、厚くお礼を申し上げます。

2, さて、卒業式のことを、英語ではいくつかの表現があって、graduationとか、commencement、あるいはconvocationという言葉が浮かびます。とりわけ、commencementという表現は、卒業という意味と同時になにかを始めるという意味もあるようで、とても示唆に富む言葉です。つまり皆さんは、今日が終わりではなく、何かの始まりという大変チャレンジングな日であるはずです。それは、人生の本番のスタートといっていいでしょう。学生時代は何かと特権や甘えが許されることがあったかと思いますが、これからは一人前の社会人となり、基本的に自己責任の世界へと移行します。同時に主権者としてこの国の政治に関わる権利と義務も本格化します。

3, 今私たちが住んでいるこの国とこの沖縄県の姿を鏡に映してみますと、色んな事実と課題がみえてきます。第1にこの国の教育の貧困が深刻です。その背景として、教育への国家予算が、余りにも少ないのです。先進30ケ国で作っている経済協力開発機構(0ECD)がありますが、その中で日本の教育支出は毎年のように最下位です。教育小国なのです。教育こそは国の百年の計に関わるので現状は深刻です。第2に、教育とは対照的にわが国の軍事支出の方は、安部政権の下で世界ランキングでは、アメリカ、中国、イギリスに次いで第4位で、まぎれもない軍事大国といえます[国際ジャーナリスト・木村正人氏ヤフーブログ、14/12/19配信]。第3に、また昨年来問題になった新聞やテレビなど「報道の自由」がかなり低い順位にあります。それは、毎年、「国境なき記者団」というNGOが調査をして結果を公表しますが、かつて日本は11位までいったことがありますが、今からちょうど5年前に起きた東北大震災以降、順位をどんどん下げ始め、最新のランキングで、日本のマスコミの報道の自由度は、世界で61位に転落しています。この国の新聞やテレビがいかに真実の報道から遠いか、しっかり認識しておく必要があります(ただし沖縄地元のマスコミは例外です)。特に公共放送の現状が心配ですが、その経営委員会で昨年まで委員長代行を務めた上村達男さんという早稲田大学の法律の先生がいます。同じ専攻分野なので私も個人的によく存じ上げている人ですが、その上村先生は、「公共放送はどんなことがあっても、時の政治状況に左右されてはならない」と(朝日15/3/3)言い残してお辞めになりました。 その後の経過は心配した通り、政府の意に沿わない放送を不公正として電波を停止するなどという大臣発言まで出ている状況で、大変懸念しています。

4, 次に、私たちの住むこの沖縄県の生活実態を全国各県との比較の中でみると、いくつかのワースト項目があります。例えば、失業率、非正規雇用率、県民所得、離婚率、それに軍事基地の広さと密度など、いずれも全国トップですが、これらは基本的に政治が創り出した負の現実といえます。これを変えるには、政治に影響を与えるしかありません。それには選挙権を持つ国民が目覚める必要があります。皆さんの出番がそこにあります。そういう皆さんに対して、特に本学院の建学のスピリットに立脚したメッセージを送りたいと思います。

5, この学院は、1957年に生まれましたが、その建学の中心人物が仲里朝章先生であることは、よくご存じですね。皆さんには耳にタコができた話でしょうが、私にとっては最後のチャンスなので、あえてまた繰り返しますが、先生は戦前に、東京帝国大学の学生だった頃、洗礼を受けてキリスト者になりました。1939年には郷里沖縄に戻って当時の那覇商業学校の校長になります。しかし時代は軍国主義の絶頂期で、校長室にも頻繁に憲兵が出入りするなかで、先生は教え子たちに皇民化教育をして、天皇のために命を捧げよという教育をしなくてはなりませんでした。沖縄戦のときは商業学校の約80人の学徒隊を率いて、島尻の激戦地をさまよううちに、ご自身も米軍の艦砲弾の破片を後頭部に受けて、瀕死の重傷を負いました。そして戦争が終わった時、先生は教え子たちを戦場へ送ったことを悔い、生き残って訪ねてきた彼らに深く頭を垂れて謝罪したそうです。同時にこう決心しました。先生は、これからの沖縄は、キリスト教精神で教育を受けた若い世代の人たちによって、平和の島として蘇るべき、との大きな夢を描いてこの学院の建学を進め、1957年に首里当蔵の首里教会において、その夢を実現させ、本学院の誕生となったのであります。

6, 私自身のことになりますが、1959年に大学を卒業して沖縄へ帰った後、首里教会の礼拝に通い、そこで仲里先生の説教を聞き、また教えを受けることになりました。先生の口癖はpeace makerになれ、そして戦場となった沖縄の将来は旧約聖書にある「乳と蜜の流れる理想郷、カナンの地、現代でいえば、デンマークのような、平和郷として、蘇るべきだ」と、熱っぽく語っておられました。こうして、聖書をベースにして、沖縄と平和に強いこだわりをもっておられました。先生は1973年に81歳で天国へ召されたわけですが、その直後にお宅へ伺った際、仲里先生の蔵書の中から私が手にとって見ていた一冊の文庫版を直子夫人が「よかったらもらって頂戴」といって私に下さいました。それは内村鑑三のエッセイ集(所感十年)で、仲里先生があちこちに傍線を入れてあり、私はかけがえのない宝物として、今も大事にしています。それがこれです。その中で仲里先生が傍線の引かれた部分から一か所だけ、内村の言葉を紹介します。今から1世紀以上も昔に内村鑑三が述べた言葉は今日のこの国の状況にぴたりと当てはまります。そこで私流に現代語にして皆さんに伝えます。こうです。
 「今や日本が要求するものは,国民の良心の革命である。鈍ってしまった良心では、冨も才能も学門も何の役にも立たない。本当の良心を眠りから覚ますことが必要である。そのために、日本国にキリスト教が必要なことは、病人に医者が必要とするよりもっと大である。」(234ページ)
 内村の言葉と共に、本学院で学んだ建学の精神をも皆さんの心にしっかり根付かせてほしいと思います。それは仲里先生から歴代の学長の方々が大事にしてきた価値であり、3つの柱から成り立っています。即ち、第1にキリスト教、第2に沖縄、特にその過去と現状に向き合うこと、そして第3に平和です。平和は聖書からも沖縄の歴史と現状からも出てきます。本学院ならではのidentityとmissionを忘れず、一人一人が夢(dream)を抱いて、広い世界へと羽ばたいて下さい。皆さんの前途に神様の守りと祝福をお祈りして、メッセージと致します。