2018年度 沖縄戦犠牲者を思い、平和を祈るとき

 6月の「慰霊の日」を迎えるにあたり、かつての戦争のむごたらしさと犠牲となった方々を覚えると共に、平和への思いを強くする時となりました。

本学院では、出来るだけ多くの教職員と学生に参加を促し、全学院で心を一つにすべく、全館放送による宗教部長の聖書朗読と祈り・黙祷の時間を持ちました。

20180622_irei01 20180622_irei02


2018年6月22日 「沖縄戦犠牲者を思い、平和を祈るとき」校内放送全文


皆さんおはようございます。宗教部長の金永秀です。

2018年度沖縄戦「慰霊の日」を明日に控え、犠牲者の方々を覚えて祈祷の時を持ちたいと思います。教室にいる方で、起立する事の出来る方はご起立下さい。また、キャンパス内のいずれにいても心を一つにして、犠牲者の方々の尊い命を覚えたいと思いますので、静かに黙祷の姿勢をおとり下さい。
まず、そのままの姿勢で、聖書の御言葉に聞きましょう。聖書箇所はエゼキエル書37章1−6節です。

『聖書』エゼキエル書37章1−6節
主の手がわたしの上に臨んだ。わたしは 主の霊によって連れ出され、ある谷の真ん中に降ろされた。そこは骨でいっぱいであった。
主はわたしに、その周囲を行き巡らせた。見ると、谷の上には非常に多くの骨があり、また見ると、それらは甚だしく枯れていた。
そのとき、主はわたしに言われた。「人の子よ、これらの骨は生き返ることができるか。」わたしは答えた。「主なる神よ、あなたのみがご存じです。」そこで、主はわたしに言われた。「これらの骨に向かって預言し、彼らに言いなさい。枯れた骨よ、主の言葉を聞け。
これらの骨に向かって、主なる神はこう言われる。見よ、わたしはお前たちの中に霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。そして、お前たちはわたしが主であることを知るようになる。

お読みいたしました聖書の御言葉は、紀元前6世紀に、エゼキエルの祖国ユダ王国がバビロニア帝国によって滅ぼされ、人々の多くは殺戮された時、預言者エゼキエルが神から頂いた言葉です。預言者エゼキエルは、戦争のむごたらしさをこえて復活のメッセージを語るのです。神による不思議な回復の幻を見るのですが、それは、真の回復は人間が人間である事を取り戻す中でなされるというメッセージでもあります。

73年前の沖縄戦の殺戮とむごたらしさは、言葉で表現する事は出来ません。亡くなられた犠牲者の方々への神の恵みを祈るのみです。それと共に、戦争を二度と起こさせないことによって、今を生きる私達が人間としての本質を回復させ、本当の意味での社会と平和を望む事が出来る。それこそが、死に追いやられた人々の犠牲を無駄にしない唯一の事であると信じるものです。

しばしの間、犠牲者を覚えて黙祷をいたしましょう。最後に私から祈らせていただきます。

平和の主である、イエス・キリストの神様。今から73年前、この沖縄の地における戦争の中で、無惨にも殺され、傷つけられた人々の魂をあなたが引き受け、慰めを与えてください。二度とこのような事が、世界のいかなる所でも起こる事がありませんように。

どうか、神の真理によって戦争への偽善を見抜き、神の示された人としての在り方、平和を求めて生きる事が出来ますように。犠牲者の方々の願い求めた、平和のために歩む私達となさしめてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン


お問い合わせ先:宗教部