2024年度 秋季卒業式が行われました

【掲載日】2024-09-26

2024年度 沖縄キリスト教短期大学、沖縄キリスト教学院大学の秋季卒業式が9月24日(火)に挙行されました。
本学での学び、友人との思い出を胸に、社会人として歩み始めた卒業生の皆さんの今後のご活躍をお祈りいたします。
ご卒業おめでとうございます。

 

  

 

<告辞>

 卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。

 また、卒業に至るまで物心両面で支えてこられましたご家族、ご親族をはじめとした皆様方に心よりお祝いを申し上げます。

 四大英語コミュニケーション科を卒業される皆さんの学生時代の半分はコロナとの闘いでした。大学と共に苦労して頑張ってこられたことを感謝したいと思います。そして、本日の卒業式はコロナ以前のキリスト教学院の伝統的な形で行うことができて感謝です。

 

 この式典の最初に聖書の「マタイによる福音書13章」一節が読まれました。この聖書の言葉は、私たちの学院が伝統的に卒業生に花向けとして読んできた聖書の物語です。 

「種を蒔く人」すなわちお百姓さんが種を蒔いた。しかし、畑に落ちないで道端に落ちた種、石だらけの土地に落ちた種、茨の木が茂っている土地に落ちて成長することができなかった種があるかと思えば、よく耕された良い畑の土地に落ちたものがいたという物語です。この良い畑に落ちた種は百倍にも六十倍にも増えていったというものです。

「種を蒔く人」とは天地万物の造り主、私たちの人生を導く「神様」のことを表しています。そして、蒔かれた種とは私達人間のことです。ここには、聖書の世界・人間観が語られております。聖書のこの言葉は明らかに、私たちの人生は世界を造られた創造者(神)によって種撒かれた。つまり私たちの人生は神から種のように蒔かれて命と使命が与えられたということを意味するのです。

 それにしても、今日のこの聖書の言葉はあたかも、石だらけの土地に落ちる種、茨の中に落ちてしまうような不幸な種があると思えば、良い土地に落ちる幸運な種があるのが当然と言わんばかりです。

考えようによっては、良い土地に落ちる種のように、ラッキーな人と悪い土地に落ちるアンラッキーな人たちに分けられているかのような不公平さ是認していると読み取れる文章です。しかし、本当にそうなのでしょうか。果たして聖書は世の中は、運のいい人と、運の悪い人に分けられているということを教えたいのでしょうか。結論から言いますと、そうではありません。イエス・キリストは実は、この後の(19節)聖書箇所を解説されています。

 

 「誰でもこの(神の国の)言葉を聞いて悟らなければ、悪い者が来て、心の中に蒔かれたものを奪い取る」。

つまり、神によって与えられた人生の意味をしっかりと捉えないならば、その時に種は悪い土地に落ちることになるというのです。簡単に解説するならば、私たちの人生は、運命によって決められるのではない。神によってタネが蒔かれるということはそういくことではなく、神によって与えられた人生が何であるか、そしてその人生の意味を真剣に捉えて知るならば、そしてその人生を生きるならばその人生は豊かになるということです。

 

 本日、沖縄キリスト教学院の学舎を卒業する皆さんは、今から出ていく世界・社会の前でちっぽけな種のような存在でしかないのかもしれません。しかし、小さな存在が、自分の人生が何かを見つめて歩むならば百倍、六十倍、三十倍にも成長するように成長する。イエス・キリストはそのように語られるのです。

 この学舎で皆さんの内に撒かれた種が、主イエス・キリストの恵みのうちに大きく成長するこれからの人生でありますようにお祈りいたします。

重ねて、ご卒業、おめでとうございます。

チバリヨー。 

沖縄キリスト教学院大学   沖縄キリスト教短期大学
学長 金 永秀