首里キャンパス時代

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▲1号館校舎落成

 授業は、当初、首里教会内の仮校舎で行なわれていましたが、1962年には、首里の小高い丘の上に、総工費約5万ドルの新校舎が落成し、学院も移転しました。この校舎の建築にあたっては、県内外や外国の教会をはじめ、多くの方々から多額の献金が寄せられました。

1963年に、英語科(定員15名)・児童福祉科(定員15名)が設置され、それぞれ中学校教諭免許状(英語二級)、保母資格の取得が可能となりました。1964年には、琉球政府の要請で設置されていた附設保母養成科が廃止され、保母養成校として新たに指定を受けました。

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▲首里教会の鐘楼から
1号館校舎を望む

しかし、創設を担った「キリスト教学科」は、1970年に、志願者減を理由に廃止されました。同じ年に、学校名も「沖縄キリスト教学院短期大学」から「沖縄キリスト教短期大学」に変更されました。「学院」という愛称で親しまれていましたが、この頃から「キリ短」と呼ばれるようになりました。 校名変更と同時に入学定員も大きく増員し、英語科50名、保育科50名(児童福祉科は、1967年に科名を「保育科」に変更)となりました。その後、1972年の「日本復帰」の年に、英語科は、定員を更に100名に増員しています。しかし、「キリ短」への志願者は多く、入学者数は常に定員超過で、丘の上の小さなキャンパスは、満杯の状態でした。

 

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