2016年度 入学式が行われました

沖縄キリスト教短期大学 第60回
沖縄キリスト教学院大学 第13回
沖縄キリスト教学院大学大学院 第9回

入学式が行われました

2016年度 沖縄キリスト教短期大学、沖縄キリスト教学院大学の入学式および大学院入学式が4月1日(金)に挙行されました。

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入学式メッセージ

沖縄キリスト教学院大学
沖縄キリスト教短期大学
学長 友利 廣

 うりずんの薫りが漂い始めるこの季節に、ご来賓の皆様、ご父兄の皆様、並びに本学院の同窓会、後援会の皆様のご臨席を賜り、沖縄キリスト教学院の2016年度の入学式を挙行できますことは、誠に慶びにたえません。本学院の教職員を代表致しまして心より感謝申し上げます。

 只今、本学院への入学を許可されました新入生の皆さん、沖縄キリスト教学院の教職員、理事会、在学生一同、そして関係者各位に代りまして、ここに歓迎の意を表したいと思います。誠におめでとうございます。

 本学院への入学を果たした2016年度の新入生は、短期大学にあっては英語科89名、保育科109名、合計198名になります。学部の方では、英語コミュニケーション学科119名、編入学10名、大学院異文化コミュニケーション研究科3名であります。総数にしまして330名になります。

 晴れて、本日、入学を果たす新入生の皆さんは、これからの社会を担う人材たらんとする気概を以て、日々の研鑽を重ねることが、今日のこの日まで、皆さんを励まし支えて下さった、ご両親、ご家族、友人、そして、ご指導頂いた先生方へのご恩返しになる、と言うことを深く胸に刻み、いつまでも感謝の気持ちを持ち続けて下さい。

 さて、ここで沖縄キリスト教学院の歩みを顧みながら、本学院の建学の精神について新入生の皆さんと共に考えて見たいと思います。ご承知のように沖縄の高等教育機関の設立は戦後に始まります。わが国にあって沖縄の高等教育は長く捨て置かれた唯一の自治体であります。この歴史的事実こそ、沖縄の私立大学を考える際に忘れてはならない重要な視点になります。そこで、沖縄の私立大学の歩みを本学院史と重ね合せ、学院の創設に込めた高邁な思想を確認したいと思います。

 今や国立大学さえ文部科学省の指導を受けて建学の精神を掲げるようになっています。私立大学、国立大学の設置形態の如何を問わず、大学設置理念を可視化する時代になっていると言えます。

 さて、本学院の創設は、創設者もさる事ながら、廃墟の中からち上がった沖縄の教会、そして市井の多くの人々が学院の設立趣旨に賛同し創りあげた文字通り手作りの私立(わたくしりつ)の大学であります。この思いを本年度の学校案内で私が語った言葉に拠って紹介します。

 「学院史を紐解くまでもなく、本学院はイエス・キリストの教えを大学運営の枢軸に据え、平和の創り手の養成を通して社会へ貢献することを建学の精神に謳い、実践して参りました。そこには苛烈を極めた沖縄戦で多くの学徒を犠牲にしたことへの無念の思いがあり、更には、戦後処理の過程において日米の思惑に翻弄され、不条理とも言える分離統治を余儀なくされてきた沖縄の特異な歴史が教訓として反映されています。

 かつての津梁の精神を今再び沖縄の道標として登場させ、この地を平和の緩衝地帯にする構想は、本学院の創設代表者にして初代の理事長と学長を務めた仲里朝章牧師が、建学の精神に寄せた思いでもある「国際的平和の島」構想と通底するものがある。」。この短い文章に、本学院が掲げている平和の担い手を養成するとの強い思いが込められています。

 今改めて、本学院の発展の礎を築いてきた関係者の皆様の働きへ感謝し、建学の精神を継承していくことを共に誓いたいと思います。

 次に、大学に於ける学びの心構えと学問を修めることの意味を考えます。言うまでもないことですが、皆さんは大学在学中にさまざまな体験を積み重ね、知性を育むことになります。それらを糧に将来に備える、これに尽きると思います。厳しい現実が待ち受ける社会にあって、社会人としての期待に応えるべく学問的研鑽に励む者、留学を通して国際的感覚を身に付ける者、或いは又、モラトリアムの場として大学生活を過ごす者など、様々でしょう。教員は学生の求めに応じて、学問的知見を伝授しますが、何れも最終的には皆さんの意志に委ねられています。

 社会が皆さんに求めていることは学問的専門性とそれを駆使し、それぞれの現場で直面する問題を改善、解決する問題発見力であり、解決力であります。長い人生、活躍できる舞台を手に入れることができるか否かは、大学生活をどのように過ごすかに懸っていることを心に刻んでもらいたいと思います。

 そこで、大学に於ける学びの心構えについて今少し触れます。高校の教科書にも登場する曹洞宗の開祖道元禅師が執筆した正法眼蔵に「啐啄迅機(そったくじんき)」と言う言葉が有ります。意味するところは、雛が孵化する際、まさに産まれ出ようとするその時に卵の殻を突くと言われます。その時の雛の動きを「啐」と称します。殻を破り雛が産まれでようとするその“意志”と行動に呼応するかのように、親鶏が卵の殻を外側から嘴で突いて殻を砕く動きを「啄」と称します。雛の「啐」と親鶏の「啄」があってはじめて生命の誕生につながります。

 教育の原点もまさにこの「啐啄迅機」に求めることができるのではなかろうか。学問は試行錯誤を伴うものです。その際に、学生側の学問を修めたいという意志と行動が教師の助言と指導を呼び起こして学問的涵養につながる。ここに、高校での学びと本質的な違いがあります。

 新入生の皆さんは沖縄と共に歩んできた伝統ある沖縄キリスト教学院に入学し、優れた先生方から指導を受け、本学院を学び舎とすることに誇りを持ち、継承して下さることを切に願う次第です。
 最後に、皆さんの周りには様々な誘惑があります。霊感商法、オカルト宗教、薬物使用、セクトの勧誘等、これらの誘惑に陥らない勇気と判断力を身に付け大学生活を充実あるものにして下さい。
 以上の言葉を持ちまして式辞に代えます。新入生の皆さん、皆さんの入学を心より祝したいと思います。

2016年4月1日