2024年度 卒業式を挙行しました
【掲載日】2025-03-19
2024年度沖縄キリスト教短期大学、沖縄キリスト教学院大学の卒業式を3月14日(金)に挙行しました。
【告辞】
ご卒業の皆さん、ご家族、ご親族をはじめ卒業に至るまで物心両面で支えてこられましたご家族をはじめとした皆様方に心よりお祝いを申し上げます。
皆さんが、この学舎で過ごした4年、2年、あるいはそれ以上の人もいるかもしれません。
私は、その学びの歳月は、皆さんの人生にとってどのような意味があるのだろうかということを考えながら、今日のこの日を迎えております。そして、かつて私も同じ思いを持って大学を卒業したことを思い出します。
キャンパスでの時間、教室の中外での時間、実習先での学びの時間、期末試験に費やした時間、友人と過ごした楽しい時間、嬉しかったこと、苦しかったこと、悲しかったこと様々な時間があったと思います。
そのような、ひと時ひと時を経て今日の卒業の日があります。そして、それがこれからの人生に繋がるということを思います。
本日、私たちがお読みいたしました聖書の御言葉は、この学院の卒業式で伝統的に読み継がれてきたものです。この、聖書の箇所から、皆さんのこれからの歩みを考えていただけたらと思います。
聖書の内容は、一人の農夫によって種が蒔かれた。そして、その種は、色々な場所に落ちたという単純な物語です。ある種は鳥に食べられてしまった。他の種は石だらけですぐに枯れてしまった。茨の中に落ちた種もあったがこれも成長することができなかった。しかし、良い土地に落ちた種は豊に実って100倍、60倍、30倍に成長していった。
この聖書の物語が、皆さんに語りかける意味は何かということです。これまでのキリスト教の歴史において様々な解釈がなされて教えられてきましたが、農夫が蒔いた種とは、イエス・キリストの言葉、神の言葉である。土地とは、神の言葉を受け取る人々。すなわち私達一人一人のことであるというのが伝統的な解釈です。つまり、神の教えを受け入れないものもあれば、しっかりと受け入れて豊かな実りをあげる人もいるというものです。ただ聖書を読む限り、誰が良い土地であり、誰が悪い土地なのか、石地であり、荊に閉ざされた土地なのかを明確に語っていません。
はっきりしているのは、一つ一つの土地に種が〈撒かれた〉ということです。つまり、全ての土地つまり、全ての人生、全ての人々の人生に神の種が撒かれた。人は、皆この与えられたものを持って生きるのです。キリスト教の人生観「与えられた」人生ということを考えますと、皆さんが学んだ学びもまた、神から与えられた知識であり、一種の種であったと思います。卒業生の皆さんは、自分が一生懸命に学んだのだから、自分の力で今日の卒業式を迎えることができたと思っている人もいるのかもしれません。しかし、聖書の視点からするならばあなた方の力や能力もまた、与えられたものということになります。
この聖書の箇所から言えるもう一つのことがあります。それは、種がどの地に落ちるのかが明らかではないということです。つまり、このタネを受けるのが、果たして良い土地なのか、悪い土地なのか。道端なのか、石地なのか、茨に囲まれた地なのかわからないということです。皆さんは、友人達と同じように学び、同じように試験を受け、レポートを書き、先生と語らい、質問をしたと思います。しかし、皆さんが与えられた種つまり、与えられた機会、与えられた教育、与えられた環境や能力を自分のものにして、それを誰がどれくらい活かすのかはわかりません。おそらく、一人一人違った人生を歩まれることになると思います。
私達は、皆さん方に大学として、短期大学として種を蒔くことをさせていただきました。皆さんにとってこの小さく見える種を、皆さんの人生のために存分に活かしていただきたいと思います。
本日は誠におめでとうございます。イエス・キリストの恵みと祝福がこれからの人生に豊かにあるように祈りつつ、私の祝辞とさせていただきます。
2025年3月14日
学長 金 永秀