2019年度 沖縄戦犠牲者を思い、平和を祈るとき

 6月の「慰霊の日」を迎えるにあたり、かつての戦争のむごたらしさと犠牲となった方々を覚えると共に、平和への思いを強くいたします。

 本学院では、出来るだけ多くの教職員と学生に参加を促し、全学院で心を一つにすべく、6月21日(金)10:40~、全館放送にて、伊波美智子理事長による聖書朗読とメッセージ、祈りの時を持ちました。

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2018年6月21日 「沖縄戦犠牲者を思い、平和を祈るとき」学内放送全文


 おはようございます。主の御名を讃美し、共に祈りの時をもつことができることを感謝します。

 今年の「慰霊の日」6月23日は日曜日にあたるため、沖縄戦の犠牲となった方々の尊い命を覚え、世界平和のために、この朝、祈りの時を持ちたいと思います。キャンパス内のどこにいても心を一つにして祈りましょう。静かに黙祷の姿勢をお取りください。

 まず、そのままの姿勢で、聖書のみ言葉に聴きましょう。聖書箇所は「ヨハネの黙示録」21章3~4節です。

 「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。

 私たち沖縄キリスト教学院のキャンパスは、激戦地となった西原の地に建っています。沖縄戦では、住民、日本軍、米軍合わせて、わずか3か月の間に、約20万人の命が奪われました。そのうち、約半数は一般住民でした。

 中でも当時人口10,881人であった西原村では、軍用飛行場が作られ、日本軍部隊が駐屯していたために集中砲火を浴び、人口の約半数、5,106人の方が戦争の犠牲になりました。22%の家が一家全滅となり、一人も犠牲者を出さなかった家はわずか16%、つまり10家族のうち、8を超える家族が愛する人たちを戦争で失ったのです。

 「鉄の暴風」と形容された凄まじい爆撃は陣地も民家も無差別でした。家や田畑などの生活の場を破壊され、貴重な文化財が失われ、何よりも大切な、愛しい家族や友人が無残に殺されていったのです。

    御万人(うまんちゅ)ぬ命(いのち) 奪い(うばい)しや戦争(いくさ)
                    心悲(くくるかな)ししゃや 万代(まんで)までぃん

 「多くの人々の命を奪った戦争の悲しみはいつになっても終わることはない。」という意味で、元西原町長・翁長正貞(せいてい)氏が詠まれた琉歌です。

    御万人(うまんちゅ)ぬ命(いのち) 奪い(うばい)しや戦争(いくさ)
                    心悲(くくるかな)ししゃや 万代(まんで)までぃん

 「戦争はすべてを破壊する。軍隊によって住民を守ることはできない。戦争は人を人でなくする。」と、沖縄戦を体験した方々は口をそろえて言われます。戦争に反対し、戦争をしない、非戦の思想を伝えていくことは、この地に生き、生かされている者として、私たちが受け継ぎ、次の世代に伝えていく使命であることを思わされます。

 お祈りいたします。起立することのできる方はご起立下さい。

すべての命の源である愛と平和の神さま。み名をほめたたえます。

今朝、ここに私たちは集い、74年前にこの島で起きた悲惨な地上戦を思い起こし、あのような惨劇がこの地球上のどこにおいても起きないようにと、心を合わせて祈ります。

主よ、74年前のできごとは過去のことではありません。小さな沖縄の島には東洋一の巨大な米軍基地が存在し、そのうえ、豊かなサンゴ礁の海を埋め立てて新たな軍事基地が作られようとしています。また、東洋の真珠と言われるごく小さな島々にも日本軍の基地が続々と建設され続けています。

島の人々の「平和に暮らしたい」というささやかな願いは権力者によって踏みにじられています。

主よ、あなたは「目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。」時が来ると約束されました。どうか平和を求める私たちの祈りに耳を傾け、早くその時が来ますよう、私たちを平和の器とならせてください。

あなたの平安がこの地にあまねくいきわたりますように。
私たちのために自らの命を捧げられた主イエス様のみ名によってこのお祈りを御前にお捧げいたします。
アーメン


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