2022年度 卒業式を挙行しました

【掲載日2023.03.29】

2022年度沖縄キリスト教短期大学、沖縄キリスト教学院大学の卒業式を3月15日(水)に挙行しました。

 

【告辞】

 卒業生の皆さん、おめでとうございます。また、卒業に至るまで物心両面で支えてこられましたご家族をはじめとした方々に心よりお祝いを申し上げます。

 皆さんが入学して、この4年間、あるいは2年間はコロナとの闘いがそのほとんどであったと思います。多くの苦労の中で頑張ってこられたことを賞賛したいと思います。本日の卒業式は、そのコロナが落ち着きを見せ始めたということで、ようやく通常に近い形で行うことができて感謝です。

 2022年度とはどのような一年だったのでしょうか。ロシアのウクライナ侵攻等、コロナ以外でも、多くの点で忘れられないことの多い年でした。沖縄に関しては、2022年度は又、「本土復帰」から50年の年でした。様々なイヴェント、コンサート、記念特集が組まれました。それは、あたかも沖縄が元々ヤマトの国の一部であったかのような錯覚を起こさせるような言葉です。しかし、一方で、2022年は、もっと重大な記念の年であることをどれほどの人々が意識したでしょう。この年は、「琉球処分」の始まりからちょうど150年の年でした。1872年、琉球王国は明治政府によって処分され、「琉球藩」に変えられやがて消滅、日本になったのです。なぜ、政府も報道機関も、教育関係もこの歴史に注目しなかったのか。その歴史が素通りさせられたことに目を留める必要があるのではないかと思います。

 又、第3代学長の金城重明先生が、7月に天に召されました。悲しみと共に深い感慨を持った年でもありました。この方は、あの集団自決・集団強制死を体験した人です。村の人々同様に妹と母親に手をかけなければならないという状況に追い込まれました。英語コミュニケーション学科の卒業生の皆さん方は、渡嘉敷島のオリエンテーションキャンプで金城先生の「集団自決」「集団強制死」体験証言を聞いた最後の学年であると思います。金城先生は戦争の残酷さ平和の尊さを最後まで語り、教え、証言された方です。そして、今から2週間ほど前、3月3日に亡くなったノーベル賞作家の大江健三郎さんの裁判でも証言されました。日本と沖縄の宝が世を去られた年でした。

 金城先生がその証言をする中でこれからの日本の未来について予言するようなエピソードを語っていました。沖縄戦の二年前、先生が船に乗って那覇の病院に行った時のことです。那覇の大通りでは当時の米国の大統領ルーズヴェルトと英国首相のチャーチルに見立てた大きな人形をたてて、道ゆく人々にその藁人形に「鬼畜米英」と叫んで竹槍でつかせるという出来事がありました。金城先生は『集団自決を心に刻んで』でこのように語ります。「そしてこの“鬼畜米英”への憎悪が、現実に沖縄戦で青い目の米軍に遭遇した時、自分たちが“鬼畜”に襲われる恐怖へと転化していったのです。」憎しみの悲劇的末路が「集団自決」だったというのです。憎む心と恐怖が戦争を引き起こすということ、そして、自分の愛するものまでも犠牲にするということから今の日本社会に目を転じると、中国・北朝鮮に対する報道が大々的になされており、憎しみがこれから増幅される危険性を強く感じるのです。

 本日私たちは、式典の最初に「マタイによる福音書13章」から聖書の一節が読まれました。この聖書の言葉は、私たちの学院で伝統的に卒業式において読まれてきた聖書箇所です。皆さんの式次第の表紙のところに書かれている。「種を蒔く人」が種を蒔いた。色々な種があったことがわかります。畑に落ちないで道端に落ちたもの、石だらけの土地に落ちたもの、茨の木が茂っている土地に落ちたもの、そして畑としてよく土が耕された土地に落ちたもの,良い畑の土地に落ちたものは百倍にも六十倍にも増えていったというものです。何故、この物語が私たちの学院の卒業式で読まれるのか。二つの理由が考えられます。

 第一に「種を蒔く人」とは神のことを表しています。そして、蒔かれた種とは、私たち一人一人の人間であるという聖書の世界観が語られております。聖書は人の人生は神によって蒔かれ、育まれるものであるというのです。卒業生の皆さんは、勿論、それぞれ自分の希望と想いと願いを求めますが、聖書は、その人生を究極的に導くお方がいらっしゃるということを明らかにしているのです。先ほどご紹介しました、金城重明先生と教会でお話しをしていて、先生がポツリと言われた言葉が忘れられません。

「金先生、私はね生きているのではないのです。キリストに生かされているのです。」

 第二の理由は、卒業生の皆さんが、蒔かれた種のように成長するからです。人生の可能性は誰にもわかりません。卒業生の皆さんが思っている以上の能力と知恵と力を内に持つようになるからです。皆さんが自分について思う百倍も六十倍もあるいは三十倍も大きく成長する可能性に満ちているのです。

 

 どうぞ、成長して、人を愛し、社会を愛し、自分と異なる人々を理解し、自分よりも弱い人の尊さを覚えて共に生きる存在となられますように。自分は茨に落ちた種のように思えても、悪い土地に落ちた種と思うような時があっても、実は百倍もの能力を持っている可能性があるのです。夢をあきらめないで、人生を歩んでください。

 小さな渡嘉敷島で、悲惨な戦争経験によってズタズタにされた金城少年が、生命の意味を問い、学び続け、牧師になり、沖縄キリスト教学院短期大学の学長になり、平和を訴える人になったことを覚えていただきたい。

 豊かな人生は、神によって人によって作られる。卒業生の皆さんの人生はこれからです。神に蒔かれた種のようにこれからの人生が豊かなものでありますようにお祈りいたします。

 

2023年3月15日

学長 金 永秀

 

 

【卒業式の様子】